はじめに
2025年10月11日から10月13日にかけて、加藤山崎教育基金 軽井沢研修所(長野県北佐久郡)にて、第58回情報科学若手の会を開催いたしました。全国より、招待講演者を含む43名(うち学生20名)が現地参加し、様々な分野の発表を行い、 活発に議論しました。
発表および議論
以下のような発表枠を用意し、議論を行いました。本年は、一般発表3件、ショート発表3件、スポンサー発表7件、LT発表9件の発表がありました。
- 招待講演: 60分 (質疑含む)
- 一般発表: 発表30分+質疑10分
- ショート発表: 発表15分+質疑10分
発表一覧
招待講演: 「オープンソースソフトウェアへの解像度」 株式会社Preferred Networks 小松 享 様
情報科学若手の会では昨年に須田氏による「なぜオープンソースソフトウェアにコントリビュートすべきなのか」という招待講演が行われました。こちらの講演ではオープンソースソフトウェア(OSS)へ貢献する意義が明確になったかと思います。今年の本公演では、メンテナ視点でOSSへの貢献や運営が実際にはどのように行われているか、その実情をお伝えします。
私はこれまで 4 年以上にわたってコンテナランタイム youki の開発をリードしてきました。この 4 年以上のメンテナ経験に基づき、OSS運営の裏側にある課題や意思決定の実際を、具体的な事例と共に解説します。また、一例ではありますが、持続的なOSS運営、つまり常に開発が続き成長をするOSSのために意識してきた観点についても紹介します。本公演を通じて、OSSへの解像度が高まり、効果的な貢献へのイメージを掴んでいただければ幸いです。
若手特別講演: 「言語をWebAssemblyへ移植する」 Goodnotes 齋藤 優太 様
SwiftやRubyなど、既存の言語をWebAssemblyという新しい環境で動かす取り組みに、ここ数年関わってきました。処理系を移植するというのは、思ったより地味で、でも確実に面白くて、課題だらけです。 この講演では、言語をWebAssemblyに対応させるとはどういうことか、そして成長中のプラットフォームと付き合っていくとはどういうことかについて、お話しします。
ショート・一般発表
一般発表1: 「バイナリエンコーダー/デコーダージェネレーターbrgen-設計,実装,課題-」 藤岡 航介 様
私が開発しているバイナリエンコーダー/デコーダージェネレーターbrgenというものの設計、実装、そして現状の課題について話します。
https://github.com/on-keyday/brgen
- バイナリエンコーダー/デコーダージェネレーターbrgenの概要
- 開発動機
- 使い方デモ
- 3つのゴール
- アーキテクチャ概要
- src2json(レキサー/パーサー/型解析部分)について
- json2xxx(第一世代コードジェネレーター)について
- LSP/WebPlaygroundについて
- 失敗のはなし - うまくいかなかったツールたち
- rebrgen - IRとコードジェネレーター(第二世代)ジェネレーターを作る話
- 今後の展望と課題/まとめ
一般発表2: 「Nix と NixOS を使って趣味 Kubernetes クラスタを運用する」 伴野 良太郎 様
私は Nix と NixOS を利用して趣味で Kubernetes クラスタを運用しています。 この発表では、そんなサーバの運用中に見つけた、安定稼働のための仕組みや方法を紹介します。 特に、Nix や NixOS が得意とする宣言的なアプローチによるシステム管理を有効に活用しつつ、比較的非力なマシンでどのように安定した運用を可能にするかを紹介します。
一般発表3: 「Rustでのゼロからの通信ミドルウェア自作入門」 富重 亮佑 様
私が行なっている通信ミドルウェアDDS (Data Distribution Service)のRust実装について紹介します。 DDSはロボティクスの分野で使用されるPub/Sub通信を提供するミドルウェアROS2で通信基盤として採用されています。 ROS2は自動運転システムの実装にも用いられており、DDS実装には高い信頼性が要求されます。 容易に安全性の高いソフトウェアを実装できるRustでDDSを実装することが、高い信頼性を確保するための近道となるはずです。 しかし、既存のRust製DDS実装にはいくつかの問題がありました。 そこで、ゼロからRustでDDSを実装することとなりました。 本発表では、ゼロからどのように開発を進めたのか、Rustで書くことのメリット、デバッグやテストの工夫などを紹介します。
ショート発表1: 「理論と実務のギャップを超える 〜機械学習・生成AI導入の実践知〜」 武藤 克大 様
機械学習や生成AIを導入する上で直面する、理論と実務のギャップについて、共著書『先輩データサイエンティストからの指南書』(技術評論社)の執筆過程で整理した知見をもとにお話しします。
ショート発表2: 「スマートフォンの標準センサを用いた周辺空間認証システムの開発」 河内 誠悟 様
多要素認証が普及する現代でも,デバイスの紛失やなりすましは依然として大きな課題である.私は「その場にいること」自体を認証要素とする,新たな空間認証方式の研究に取り組んでいる.既存研究には,LiDARで空間を認証する手法や,カメラを用いて特定の物体を鍵として認証する手法があるが,前者は専用デバイスを要し,後者は利用場面が限られる課題があった.そこで私は,多くのスマートフォンが標準で備えるカメラと深度情報のみを使い,オフィスや自室といった空間そのものを鍵とするシステムを開発している.本発表では,ユーザーが自室やオフィスでスマートフォンをかざすだけで認証が完了し,攻撃者による物理的な再現を困難にする安全性と利便性の両立を実現する研究について紹介する.
ショート発表3: 「Undefined BehaviorとUnsafe Rustについて」 尾田 莉瑠 様
最近話題のRustプログラミング言語は、強力な型システムと実行時検査により、「unsafeを使わない限りUB(Undefined Behavior)が発生しない」ことを保証します。 ところで、そもそもUBとは何でしょうか? なぜUBは存在するのでしょうか? UBがあると、どんな問題が起こるのでしょうか? そして、unsafe Rustの何が“unsafe”なのでしょうか?
本発表では、これらの問いについて、様々な具体例や研究事例(RustBelt、Stacked Borrowsなど)を交えて説明します。
スポンサー発表1: 「Yocto Linuxを用いた組込みLinux開発のご紹介」 トヨタ自動車株式会社 金津 穂 様
"組込み機器が高機能化したことによって、組込み開発であってもリアルタイムOSとアセンブラではなくLinuxを用いたリッチなアプリケーション開発が一般化しつつあります。 本発表ではLinuxのうち、特にYocto LinuxというメタLinuxディストリビューションのご紹介と、これを用いてRaspberry Piの起動用イメージが簡単に作成できる様子をお見せします"
スポンサー発表2: 「あなたの知らないLinuxカーネル脆弱性の世界」 株式会社リクルート 山田 快 様
脆弱性情報を迅速に検知し、膨大な報告の中から「本当に対策が必要なもの」を見極めるため、我々のチームでは脆弱性の分析を行っています。膨大な報告の中には、Linuxカーネルの脆弱性も数多く含まれています。これらの脆弱性の中には、一般ユーザーがシステムの管理者権限を奪取する「権限昇格」や、外部からのリクエストでシステムが停止する「DoS(サービス妨害攻撃)」といったものが含まれます。本発表では、過去に世界を騒がせた代表的なLinuxカーネルの脆弱性を深掘りし、それぞれどのようなメカニズムで脆弱性が発生するのか、再現手法やデモを交えながらコードレベルで紐解きます。
スポンサー発表3: 「ストレージエンジニアの仕事と、近年の計算機について」 株式会社Preferred Networks 丸山 泰史 様
ストレージエンジニアとしての新卒の仕事内容と、それに絡めてここ数年のストレージハードウェア、サーバー、ネットワークの動向や新技術紹介を行います。
スポンサー発表4: 「youkiとlibkrunで実現するVM型コンテナ」 株式会社スリーシェイク 桜井 佑介 様
本発表では、低レベルコンテナランタイム youki に VMM 機能を提供する動的ライブラリ libkrun を統合し、既存ワークフローを崩さずに KVM ベースの VM 型コンテナを実現する設計と実装を紹介します。
スポンサー発表5: 「Agnocast: ROS 2において動的サイズメッセージのTrue Zero Copy通信を可能に」 株式会社ティアフォー 今井 航一 様
ロボットアプリケーションではいたるところにプロセス間通信が存在してこれをゼロコピーにしたいというモチベーションがあります。 しかし、ソケット通信を利用して動的なメッセージサイズの送受信を実現するライブラリの上ですでに大規模なアプリケーションが実装されているとこれらすべてを共有メモリに置き換えるのは困難です。 この発表では私の所属するSystem Softwareチームが、アプリケーションロジックにいかに踏み入れずにミドルウェアからの解決を行ったかを、ソフトウェアの設計・実装を紹介することで発表します。
スポンサー発表6: 「CLOSネットワークの経路交換が収束することを証明してみよう」 LINEヤフー株式会社 鈴木 大地 様
弊社LINEヤフーを始めデータセンターネットワークではCLOSネットワークと呼ばれる構成がよく用いられています。 このCLOSではBGPプロトコルを用いてネットワークの経路を交換するのですが、BGPプロトコルの収束判定について一般のネットワーク構成上ではNP-Completeであることが知られており、実際に収束しないネットワークを構成することも可能です。 この発表ではlean4という定理支援証明系を用いてCLOSネットワーク上では経路交換が収束する証明をご紹介する予定…でしたが挫折したのでモデル検査に切り替えた話をします
スポンサー発表7: 「セキュリティエンジニアの仕事・業界をつなぐ『セキュリティ若手の会』」 セキュリティ若手の会 江頭 輝 様 佐田 淳史 様 pizzacat83様
昨年10月に発足した「セキュリティ若手の会」は、将来セキュリティエンジニアを目指す学生や、セキュリティ業務に携わる若手エンジニアのためのコミュニティで、セキュリティに関する技術や業務内容、進路やキャリアについて、直接話し合える機会を提供しています。それらの活動趣旨や実績内容について10-15分お話しします。
また、現役のセキュリティ・エンジニアである幹事3名がそれぞれの持ち回りの仕事について15-20分お話をさせていただきます。内容はそれぞれ以下です。
- sada / asu_para: IT企業のCSIRTやコーポレートセキュリティに関する領域の概観と最近話題になったテーマに対するインシデントレスポンスについて
- egashira / hikae: IT企業のPSIRT RedTeamでの活動や専門であるAI Securityの取り組みについて
- pizzacat83: セキュリティベンダーでのSWE(元セキュリティ・エンジニア)として0day脆弱性を見つけるAI Agentをどのように作っているのか・開発の取り組みについて
以上の2部構成となります。
LT発表
飛び入り発表ありの発表時間5分のLT発表を行い、9件の発表がありました。また、ナイトセッションも大変盛況となりました。
インターネットでの反応
X(旧 Twitter)
ブログ記事
第58回 情報科学若手の会 に参加した。 - momokaのブログ
Discord サーバー
本年度もDiscordサーバーを利用して発表資料のアップロードや発表に対するディスカッションを行いました。 発表に対するリアルタイムな交流により、参加者間での盛り上げや活発な議論も見られ、交流のもう一つの場として大いに機能したと思います。 今後もDiscordサーバーの運用を通じて世代間交流も含めて議論を促進していきたく思います。
おわりに
本年はソフトウェアやクラウド、自動運転を支える技術など幅広くもディープな話題を招待講演、一般・ショート発表、スポンサー発表においてご講演いただけました。 異なるバックグラウンドを持つ参加者間での休憩時間やナイトセッションでの活発な議論もあり、「交流・議論を行う場」の提供を担う本会として、大変有意義な会となりました。
来年度も同時期に情報科学若手の会を開催する予定です。下記のWebページにて随時情報を更新しております。 多くの方のご参加をお待ちしております。
謝辞
招待講演を快く引き受けてくださいました小松 享 様、齋藤 優太 様、スポンサーとしてご援助いただきました株式会社Preferred Networks 様、株式会社ティアフォー 様、株式会社リクルート 様、セキュリティ若手の会(NatBee合同会社) 様、トヨタ自動車株式会社 様、LINEヤフー株式会社 様、株式会社スリーシェイク 様、本会開催にあたり様々な面からご支援くださいましたプログラミングシンポジウム幹事の皆様と情報処理学会事務局の皆様に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
情報科学若手の会幹事
- 松本 直樹 (京都大学大学院)
- 浅田 睦葉 (筑波大学)
- 石 立行 (グーグル合同会社)
- 井上 紘太朗
- 久下 柾
- 黄 英智 (株式会社ディー・エヌ・エー)
- 多根 直輝 (LINEヤフー株式会社)
- 菱田 快成 (慶應義塾大学)
- 三木 健太郎 (神戸大学大学院)